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1973.5 |
茨城県結城市に生まれる |
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両親はサラリーマン。政治家の家系ではなく、地盤を継いだわけでない。 |
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しかし、母方の祖父が元 小山市議会議員であったり、母方の親戚にも |
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元 小山市議会議員がいたり、父方のおじいちゃん、私の父、ともに |
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人前で話す機会が多かったところが、今にして思えば、この立場には |
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縁があったのかもしれません・・・。 |
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1980.4 |
結城市立城南小学校 入学 |
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1984.4 |
新設校である結城市立城西小学校に転校 (学区分割により) |
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1986.3 |
結城市立城西小学校 卒業 |
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1986.4 |
結城市立結城中学校 入学 |
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在学中は水泳部に所属。生徒会役員(会計、会長)をやらせていただいた |
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初めての選挙を経験
(あくまで生徒会役員選挙ですけど・・・) |
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1989.3 |
結城市立結城中学校 卒業 |
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1989.4 |
茨城県立下館第一高等学校 普通科 入学 |
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在学中は文科系の部活に所属。 |
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3年次に縁があって、生徒会役員をやらせていただく。 |
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勉強せずに文化祭の取りまとめに全力をそそいだ。 |
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1992.3 |
茨城県立下館第一高等学校 普通科 卒業 |
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1992.4 |
私立 日本大学工学部 電気工学科 入学 |
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将来の夢であったコンピュータのシステムエンジニアを |
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目指すために本学科を専攻。在学中は体育会水泳部に所属。 |
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競泳向きの体格も素質もなかったので、練習の邪魔を |
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しないようについていくだけで精一杯だった。 |
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3年次、体育会常任役員をやらせていただき、所属団体間の調整や |
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体育会主催の各種行事の取りまとめに奔走。 |
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1996.3 |
私立 日本大学工学部 電気工学科 卒業 |
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1996.4 |
株式会社クリエイティブソフト(茨城県水戸市) 入社 |
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念願のシステムエンジニアとしてのスタートを切ることができた。 |
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在職中はシステム部に所属し、主に、工場の生産管理システムの |
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開発に従事。このときに面倒を見ていただいた上司から、 |
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物事の考え方、部下への指導、もろもろの考え方を教えて頂いた。 |
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社会人としての基礎をみっちりと仕込んでもらった職場であった。 |
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1998.5 |
とあるきっかけから、市民運動に参加する (25歳) |
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このとき知り合った皆さんと切磋琢磨しながら活動する中で、 |
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市の行政に対して興味を持つようになる。今にして思えば、 |
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この出来事が、私の今の生き方に大きな影響を与えたと思っている。 |
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1998.9 |
一身上の都合により 株式会社クリエイティブソフト を退社 |
| 1998.11 |
旭エンジニアリング工業株式会社(栃木県小山市) 入社 |
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在職中はソフト開発部に所属。 |
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新規立ち上げ部門でもあったことから、ソフトの設計、開発、工程管理、 |
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原価管理や新人研修・指導などソフト開発に限らず管理職っぽい、 |
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幅広い勉強ができ、今の私にとってよい経験となっている。 |
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2002.3 |
以前から参加をしていた市民運動の当初の目的が達成 |
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2002.4 |
漠然と、結城市議会議員選挙への出馬を考えはじめる・・・ (28歳) |
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両親、市民運動を一緒にやってきた皆さん、地元の方と相談する日々。 |
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両親、妹からは大反対される。しかし、本人の決断はゆるがず、 |
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強引に押し切るような形で出馬を決意。 |
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2002.9 |
一身上の都合により 旭エンジニアリング工業株式会社 を退社 |
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出馬準備のために、退職。 |
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会社の皆さんには、多大なる迷惑をかけたことは、今でも心に残る。 |
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退社の日に、社長が「がんばれ!」と送り出してくださったことが |
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心強かったことを記憶している。 |
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2003.4 |
結城市議会議員選挙へ立候補。初当選
(29歳) |
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地盤・看板・カバンのない29歳の青年が、皆さんの力で当選できた。 |
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自分自身、お金を使わない選挙が実現できたこと、思いがけず4位当選が |
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できたことにうれしさと半信半疑であった・・・ |
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2003.5 |
平成15年結城市議会第1回臨時会にて、総務委員会
副委員長を拝命 |
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合併問題に取り組みたいとの希望で総務委員会所属を申し込む。 |
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皆様のお力添えで、総務委員会の副委員長を拝命し、 |
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船橋
清 委員長のもとで副委員長の仕事をしっかりと勉強。 |
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2003.12 |
茨城市町村政策研究会
入会 |
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1期生は、広域議会など、他市町村の議員と交流する場にはなかなか |
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参加ができないというジレンマを感じていた中で、 |
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下館市(現
筑西市)選出の田所よしのり県議会議員(現 衆議院議員)の推薦で、 |
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茨城市町村政策研究会へ入会。 |
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参議院
岡田 広
議員を中心とする県内の若手市町村議会議員の |
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勉強会である当会で、所属会員のパワーに圧倒されながらも、 |
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政策についての勉強を始める。 |
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2005.6 |
平成17年結城市議会第2回定例会にて、建設委員会
副委員長を拝命 |
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同期である
池田 二男 委員長のもとで建設委員会
副委員長を拝命 |
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正副委員長
共に1期生という中で、副委員長職に没頭。 |
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2005.7 |
結城市消防団
第5分団 に入団 |
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24時間待機という最高のボランティアである消防団に入団。 |
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・・・というと聞こえがよいが、頼まれて断りきれずに入団したというのが、 |
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正直なところであるが、団員の末席に身を置き、地域の安全維持に参画。 |
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2007.4 |
結城市議会議員選挙へ立候補。2期目の当選
(33歳) |
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無投票当選で、2期目の当選。1期目の期待票のみではなく、 |
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現職 市議会議員としての評価・批判を含めた中で、4年間の活動に |
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対する自分の審判を受けたいという気持ちで突入した |
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2期目の選挙だっただけに、無投票は残念という気持ちが強い。 |
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しかしながら、選挙期間中に地元の皆さんに出ていただく日数が |
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少なくなったことや、当選して結城市の議員として働けることに |
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変わりないので気持ちを新たに取り組むことを決意。 |
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選挙費用についても、皆様の多大なるお力添えのおかげで、 |
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前回同様、少額で済ませることができた。 |
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2007.5 |
平成19年結城市議会第1回臨時会にて、教育・福祉委員会
副委員長を拝命 |
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1期目の4年間、副委員長として会議記録の作成をおこなってきた |
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こともあり、2期目は役職は辞退し、平の委員として発言に専念したい |
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という意向を会派代表に伝えていたが、いろいろな調整の中で、 |
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同期の
金子 健二 委員長のもとで、三度目の
副委員長 を拝命した。 |
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役は遠慮したいという、ある意味、逆な希望もなかなか難しいのかなという、 |
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議会人事の難しさを実感している今日この頃であるが、与えられた職責は |
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しっかり全うするというスタンスは崩さず、取り組むことを決意する。 |
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2007.8 |
政治理念の違いから、会派を離れ、無会派議員として活動を開始 |
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政治理念の違いや、上位(県議会・国政)の選挙における考え方の違いから |
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所属会派を離れて、無会派議員として活動を開始する、 |
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結城市は、早く代理戦争から脱却し、まとまって事に当たらなければ、 |
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地方分権の波の中で埋没してしまうという考えを持つようになった。 |
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2008.8 |
日本税制改革協議会の理念に賛同し、サインナー議員となる |
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「子供にツケをまわさない」
という同会の理念に賛同し、 |
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あらゆる増税案に反対する、子供にツケをまわす議案に反対する |
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『納税者保護誓約書』にサインを行う。 |
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2009.6 |
会派 「結政会」を設立 |
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無会派となってからの1年半、市議会の議員さんと色々な問題を議論する中で |
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理念や考え方の近い仲間と会派を設立し、活動を行う事を決断。 |
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上位の選挙に対しては、会派は結城市の諸問題に対して、結城市議会の |
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活動に対して取り組むものであり、個々の議員の判断に任せ、会派として |
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縛らないとの申し合わせを行う。 |
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2009.6 |
平成21年結城市議会第1回定例会にて、産業・建設委員会に所属 |
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今回、この委員会に所属する事により、すべての所管を回る事になる。 |
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1期目の当選直後から、最短で全所管を回り、すべての所管を一通り |
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経験したいと考えていた事が実現できた。 |
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全委員会の雰囲気を知り、知識をつけて、この先どうするかを考えたい。 |
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2011.4 |
結城市議会議員選挙へ立候補。3期目の当選
(37歳) |
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現職議員として初めて投票を迎える選挙で1,772票を頂き2位当選。 |
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いろいろな問題において情報発信し、ブレない態度で取り組んできたことへの |
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評価を頂いたことに感謝する一方、今回の選挙の分析を怠ることなく |
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今後もしっかりと取り組んでいきたい。 |
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2011.5 |
平成21年結城市議会第3回臨時会にて、総務委員会 委員長を拝命 |
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これまでの2期8年で全ての委員会をまわりおわったので、新たな気持ちで、 |
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そして街づくりなどに取り組みたいとの考えで総務委員会所属を希望。 |
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皆さんからの協力を頂いて、総務委員長として活動させていただくことになった。 |
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委員会の中での発言の機会が減ってしまうのは残念であるが、また違った視点で |
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委員会に取り組み、良い方向に変えていければと考えている。 |
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2012.12 |
結城市議会 市庁舎建設特別委員会 副委員長を拝命 |
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総務委員長を拝命していた関係上、市庁舎建設特別委員会 副委員長を仰せつかる。 |
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(特別委員会の委員長に副議長、副委員長に総務委員長を選出する慣例により) |
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これまで、委員会の報告書は事務局に丸投げになりがちであったが、今回は、 |
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ワーキングチームを設置し、議員が報告書を検討して作成することが |
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実現できたのは大変有意義であったと思っている。 |
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2013.6 |
平成25年結城市議会第2回定例会にて、教育・福祉委員会、議会運営員会に所属 |
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教育関係、福祉関係は市民の皆さんから相談をいただく機会も大変多いことから |
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3期目後半の2年間はこの委員会の所属を選択。 |
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また、議長からの指名をいただいて議会運営委員会にも所属することになった。 |
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議会運営のかなめとなる委員会で、議会改革や議会運営の在り方そのものを |
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しっかり研究し提言ができればと考えている。 |
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2015.1 |
結城市長選挙への出馬表明(41歳) |
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市議として活動するなかで、早い時期から、市民の皆さんの声を確実に |
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実現するには市議としては限界があり、いずれは市長という立場に向かうべき |
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ことを考えていた。3期終了の節目の時期を迎え、2015年4月の市議会議員選挙に |
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4選出馬をせず、8月の市長選挙に出馬することを後援会と協議し、決定。 |
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出馬表明に至る。( ブログ 2015/01/15 2015/01/24 ) |
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2015.4 |
結城市議会議員を退任(41歳) |
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4月29日の任期満了をもって結城市議会議員を退任。 |
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新しい目標に向かって政治活動をスタート! |
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2015.8 |
結城市長選挙で落選(42歳) |
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8月9日 執行
結城市長選挙において7,818票を頂くも落選 |
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