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(1) 概略
甘竹氏が政治の世界に入るきっかけから、平成の大合併での全国第1号となる
大船渡市・三陸町の合併にいたるまでの取り組み、たくさんの問題点を
どう解決して行ったかを、講演いただいた。
(2)講演の中でのエピソードなど・・・
① 議員になったきっかけは、森進一
森進一の「港町ブルース」の中で、「みやこ~
かまいし~ けせんぬま・・・」と、
大船渡を飛ばされたことで、大船渡市をもっともっと大きくしなければならないと思い、
市議会議員に立候補し、政治の世界へ進んだ。
② 合併に向かって、議会と市当局が一致団結して取り組む
合併推進を公約として掲げ、市長に当選。公約を実現するために合併に取り組む。
議会も、特別委員会を設置して合併推進を表明し、一致団結して取り組んだ。
③ 合併とは時代にあった区割りでの考え方
1つの学校が1つの街としてとらえられ、変遷していった(下表参照)
| 流れ |
時 代 |
学 校 |
数 |
市町村の範囲 |
↓
↓
↓
↓
↓ |
江戸時代・明治前半 |
寺子屋 |
71,000 |
徒歩の範囲 |
| 小学校令交付(明治19年) |
小学校 |
15,000 |
徒歩の範囲 |
| 新生中学校(戦後) |
中学校 |
3,500 |
自転車の範囲 |
| 平成の大合併 |
高校 |
? |
バス・電車の範囲 |
④ 合併には 住民・議会・県の理解が必要
・住民の理解
市長自身が合併を公約に当選。一時期、反対派のトーンの強さに屈しそうになる。
議員も地域に合併の必要性を力説し、理解をもらった。市当局も地域懇談会を
幾度となく開催し、合併の必要性を訴えていった。
・議員の理解
信念を持った議員が、「もっと県がバックアップして合併を進めるべき!」との
考えから、県知事に直談判をしに行くなど、強力な協力があった。
また、特別委員会で「合併すべし」との結論を出した。
・県の理解
県としては、秋田・青森・岩手の3県による道州制のほうに向いていた。
また、大船渡市・三陸町の合併計画が、10ヶ月ほどでの合併計画であったのもあり、
期間的に無理なのでは? との反応であった。
(法定協議会設置後 22ヶ月
程度の議論が平均)
県側の意向では、全国第1号となる合併が失敗すれば県のその他の合併に
影響が出るし、10ヶ月では無理との回答で、四度にわたる県との交渉にもかかわらず
理解が得られなかった。帰りに市長と市職員で、盛岡市の飲み屋で食事をしようとした
ところ、昼間交渉した県職員とはちあわせ、飲み屋で激論を交わし、市の熱意、
取り組みが伝わったのか、翌日県庁に来るように言われた。
うかがってみると、県も前向きの姿勢に変わっており、県からの理解を得られた。
⑤ 合併における効果
職員70人減、約40億円の経費が削減できた。
また、合併により、185事業・630億円の助成が得られた。
合併後3年で、既に100事業に着手している。
⑥ 三陸町の名前を市内の名前として残した
合併相手の名前を、大船渡市三陸町として残すことで、三陸町からの理解を得た。
大船渡市役所を本庁、三陸町役場を支所として活用。
また、三陸町にも予算が来るかチェックする機関として審議会を設置した。
(5)立川の私見
合併に関して、結城市はまだ判断が下されておらず、注目をされているところである。
合併をして足腰の強い市町村を作るにしても、単独で行財政改革を行っていくにしても
首長の強力なリーダーシップの必要をあらためて感じる講演となった。
甘竹氏のように強力に合併を推進し、大船渡市を県下最大の港湾都市とした首長、
合併をせず行財政改革を実施している福島県矢祭町の根本町長、北海道ニセコ町の
逢坂町長と、合併するしないに関わらず、目指す街づくりに向かって強力に
推し進める首長の必要性を感じた。
我々の結城市でも、まだ合併に対しての結論付けはでていない。
しかしながら、どちらの結果になったとしても、行財政改革が必要なのは言うまでも無い。
ただ単に合併をしただけでは、さらに負債の大きな地方公共団体を作るだけであり、
何の解決にもならない。合併をし、市民サービスを維持しながらコスト削減・行財政改革を
実行してこそ、市民にとってよかったと思われる合併となるのである。また、
我々議員一人一人にかかる責任も更に更に大きくなり、質の高い議員が求められる。
我々議員や首長に求められるリーダーシップは更に大きなものになっていく。
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